昭和45年11月11日 夜の御理解
( 途中から )
お参りをしてから、矢張りあの色々お話をされる中に、ここの方達は皆さんがどうぞ世のお役に立たせて下さいという願いを、一心になさっておられるけれども。私はまた私の方の店の者には、私は言いよりますが。今合楽ではこう言う様なスローガンの元に信心が進められておると。世のお役に立たせて下さいという、その願いを持って信心が進められておると。
けども私共はまだ信心が分からんし、だからとにかく世のお役にも立たせて頂かんならんばってん、世のお邪魔にならんようにあらにゃいけんと言うのでね。もう世のお邪魔になる様な事しちゃ出来んばい。お商売をさせて頂きながら、お商売を通してから世のお役に立つという前に、世のお邪魔にならん私共にならにゃならんばいち言う事を、繰り返し申しよりますて言われて。本当おかげ頂く人は違うなと思いますね。そのやはりポイントがね。
これはもう世のお役に立たせて下さいと願いながらね。世の私は悪をなすような、邪魔になっとる様なものはなかじゃろうかと、私は思います。そうして話しよりなさる事をあの西岡さんがちょうど参って来ておられましてから。その話を聞かせて頂いて、涙をぼろぼろ流してですね、もう今日は有り難い御理解を頂きましたち言うてから、喜びなさいますですもん。本当に今まで私どんが、長い間信心のなか時にはどのくらい世のお役に立つどころか、悪をなし邪魔をなして来たか分かりませんち。
もう私はもう今日からその事のお詫びに、これは徹しなきゃいけませんと言うてから、また横で言うとられるのを聞いてね。本当にそうだなぁと思いますね。私共は信心をさせて頂いておるから、世のお役に立っておるという事ではなくて、信心しとっても世の中のお邪魔になっておる様な事がなかろうか。言うなら神様のお働きの邪魔になっておる様な事なかろうか。まあ色々ね反省させて頂かなきゃならんと、私は思うたですね。
どうぞ。